「じゃあ、アル。忘れんなよ」
>> 合図
ボクを見上げて兄さんが言う。
「うん」
頷くと、兄さんはにかっと笑って、ボクの腕の辺りを乱暴に叩く。
「行ってくるな」
「うん」
トランクを持ち上げて、目線を下げた兄さんの背中でみつあみが跳ねる。
兄さんはホームへ歩き出しかけて、だけどためらうようにボクを見る。
「心配しなくていいよ。ボクなら大丈夫。お留守番だけでしょ。ちゃんと電話もします」
兄さんは、軍部からの紹介があって、とある国家錬金術師のお家にお招きを受けた。
そう、兄さんだけ。
兄さんはボクも一緒にって言ったし、大佐たちも頼んでくれたんだけど、どうも言い出したら聞かない気難しい人だとかで。
大佐は「むしろアルフォンス君が一人で行った方がいいんじゃないかね」なんて言って。ボクも正直兄さんが無茶しないか心配だったんだけど。
少し考えた兄さんは。行ってくる。って。
ひとりで向うに数日間お世話になることを決めた。
ほんとはボクも、その街までは同行しようかと思ってた。でもそんなに遠い街でもないし。司令部があるこの街の方が兄さんは安心だと言って。
兄さんに毎日電話をかける約束をさせられて。ボクはひとりこの街に。兄さんはひとり、かの街へ。
「絶対だぞ」
兄さんは心配性だし、しつこいし、寂しがりです。
「判ってるってば。信用してよ」
「んな・・・っ!兄ちゃんはな!」
「ハイハイ。アルのことは信用してるけど、たったふたりきりの兄弟だから心配したって仕方ないんでしょ」
ぱくぱくぱくと自分の台詞を取られた兄さんは、言葉を失って。
「絶対だからな!」
それだけ言ってやっときびすをかえした。
真っ黒の汽車に乗り込む後姿。金色のみつあみが跳ねる。見慣れてるだけに、視界からそれが消えることが。
ボクも寂しい。
がたがたと兄さんの白い手袋の手が窓を開けるのが見えた。
ぬっと顔を出して、ボクを見つけるとにっと笑いかける。
ボクは手を振ってそれに答える。ほんとにちょっとだけなのに、こんなに寂しい気分になるなんて。
ピーッと高く車掌さんの笛が青空に響く。出発の合図。
行ってくる、と口だけが動くのにボクは頷いた。
ボクの鎧の体は細かいことを伝えてくれない。気をつけてって思いが伝わればいいんだけど。
ゆっくりと動き出す汽車。遠ざかるあの人に。
届け。
「こんにちは〜」
兄さんへの電話は。
東方司令部から軍の連絡っていう名目でかけることになってる。
そういう私的利用はふつうなら許されるわけないんだけど。
「よう、アルフォンス。今日も定時連絡か」
「はい。電話お借りします。・・・・・・大佐いらっしゃらないんですね」
「あー。良く知らないけど、中尉の怒りを買ったらしくてお仕置きされてんだ」
「お仕置きですか」
久々に聞くその言葉に、ちょっと途方にくれると、いしし、と少尉が笑って、笑う少尉の変わりにファルマン准尉がさらっと答えた。
「そう、草むしり」
「くさ・・・・」
ボクは更に途方にくれた。あの人ほんとに大佐なんだろうか。
「ちなみにその時一番近くにいたフュリーが同行して一緒に草むしりをすることになった」
「尊い犠牲だな」
「ですな」
っていうか、ここは本当に軍部だろうか・・・・。
「えーっと・・・・」
「ああ、電話だな、電話。いつもの通り大佐の使っていいぞー」
「じゃあお借りします」
ボクは頭を下げて受話器を手に取る。
大佐の机の電話は、もちろん専用のもので、本来なら交換手を通さなくてはならない通話を通さずに済ませることができる。
もちろん大佐以外の人間や、部外者が使っていい訳が無い。・・・・んだけど。
許されるわけ無いんだけど、ここはほんとに軍部らしくない軍部なんだ・・・・・。
「もしもし。こちら東方司令部です」
ボクの声は軍部の交換手のお姉さんの声だと誤解してくれているようだ。既に三日目で向うも慣れたもので、名前を出さなくても兄さんに代わってくれる。
「よー、アルか?」
「うん、兄さん?そっちどう?」
「今日は蔵書を見せてもらった。さすがじーさん、伊達に年食ってないぜ」
「兄さん、聞こえたら困るでしょ」
「いないからだいじょうぶだって。それよりそっちは?変わりないか?」
「うん。何も。今日も図書館に行ってたんだ」
「そうか」
受話器の向うで兄さんが微笑むのがわかる。どうしてかな、気配なんて感じられないのに。
「大佐にいじめられたりしてないだろうな」
その大佐は草むしり中なんだよ兄さん、とは大佐の名誉の為に言わないでおく。
「そんなわけ無いじゃない。兄さんじゃないんだから」
「何だその言い方。オレが大佐にいじめられてるみたいだぞ?」
からかわれてるとも言うけどね。
「あ。えーとさ」
兄さんが突然あらたまった声を出す。
「ん?何?」
「昨日ごめんな」
「・・・・・・・・・・・・・あ、そうか」
ボク昨日兄さんと喧嘩したんだった。
「しまった。電話しないって言ったのに電話しちゃった」
大喧嘩になって、もう兄さんなんか知らない、明日から電話しないから!って派手に喧嘩して切ったこと忘れてた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・切る?」
兄さんが恐る恐るみたいな感じで言うから、ボクは笑ってしまう。
「切らないよ。もういいよ。たいした喧嘩じゃないんだし」
「なんで笑うんだよ」
あ、拗ねた。
「だってかかってこないと思ったでしょ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それで謝るタイミング計ってたでしょ」
「・・・・・・・・・・・・んだよ」
「しかも忘れてるんだったら謝るんじゃなかったと思ったでしょ?」
「・・・なんでバレてんだ」
「兄さんの考えることくらい判るよ。切られると思った?」
「だってお前めちゃくちゃ怒ってただろ」
怒ってたのは兄さんだよ。
「昨日はね。でももう全然怒ってない。喧嘩なんかいつものことなのに」
「でも・・・・・」
うん、確かにこういう離れた場所にいて、喧嘩するなんて初めてだもんね。
「ごめんね。昨日はボクも言い過ぎました」
ボクたちは小さな頃から、片時も離れたことがなくて。
考えてみれば、電話で話をする機会も滅多にない。ずっと傍にいて、それが当たり前で。
一緒にいれば日常茶飯事の喧嘩も、電話越しにすると少し寂しいんだって初めて判った。
兄さんも。
「寂しいな」
寂しいのかな。
「・・・・・・! お前こっち来い。頼んでやるから、アルも・・・・」
「何言ってんの、もうあと二日か三日のことじゃない」
兄さんだけじゃなくて、ボクも寂しがりみたいです。
「そりゃそうだけど、でも!」
「兄さんも寂しい?」
「オレは・・・・・」
離れてることを、意識してしまえば、本当に寂しくなる。
「お前は、煩い兄貴から離れられて喜んでるのかと思ってた」
「・・・・・・・・・・・」
「え?まさか図星?」
「違うよ!呆れたんだよ!どうやったらそんなこと思いつくんだよバカ兄!」
「おま・・・・っ!兄ちゃんに向かってバカとか言うんじゃねー!」
「バカ兄にバカって言ってどこが悪い!」
「なんだとー!?」
シャレになんないくらい大音量で兄さんが叫ぶ。
「もう!兄さん人様のお家でご迷惑だよ!大声出さないでよ!」
「そんなのお前が!おま・・・・・・・・違う」
「何が違うのさ!」
「お前と喧嘩したいわけじゃないんだって!」
説得するように駄目押しするように言われて、カッとなってたボクも、さすがに落ち着いた。
「・・・・・・・そか。今、仲直りしたとこだったね」
ボクが言うと、兄さんが悪い、ってまた謝る。
兄さんのそういう潔いとこってボク、すごく好きだ。つまんないことで絡んできたりもそれはするけど。
「オレも寂しい。だからお前が寂しいの、よく判るし、ちょっと嬉しい」
「うん」
ずっとずっと、小さな頃から。
ボクらはあまりにも一緒にいた。どの時間も、どの時間も。
ボクの思い出の中に、兄さんがいないときが無い。そのことを漠然と幸せだと思っていたんだけど。
離れてみるともっと切実に思う。
ボクの初めての記憶に兄さんがいるように、多分兄さんの初めての記憶にもボクがいる。
それがそのまま続いていることの。
奇跡。
「変だな。なんか」
電話の向うで兄さんが小さく笑う。自分に呆れたみたいに。
「こういうの、依存っていうんだろうな」
依存かもね。でも依存でもいいよ。だって。
「愛なんて依存だよ」
「愛なのか?」
「愛だよ。兄さんは違うの?」
「ってゆーか、お前若いくせにやなこと言うな」
「ひとつしか変わらないよ!・・・って、そうじゃなくて。だってボク、兄さんがいないと生きていけないもん。そういうの、依存って言うでしょ。簡単な三段論法じゃない」
「アルが好き、好きだからいないと生きていけない、いないと生きていけないというのは依存、って?」
「そう」
「それなら、オレも愛かな」
「そういうことにしといて」
ボクらは核心に踏み込まないまま、愛という言葉を使う。
愛していると、何度も言う。
寂しいという言葉と同じくらいに。
気付いているような。気付かないような。
依存でもいいよ。寂しいよ。それくらい、愛してるよ。
「明日・・・」
兄さんの声。
「うん、ちゃんと電話するから」
「絶対だぞ」
「判ってるってば」
電話を置くと、断ち切られたつながりが、身にしみて感じられる気がした。
ボクは鎧だから、ほんとに気がしてるだけなんだけど。兄さんは。かの町で。
ボクは・・・この町で。
「お前らって毎日へヴィな会話交わしてるよなー」
くわえタバコのまま、ハボック少尉が椅子をぐるりと回して話し掛けてくる。
「やだな、聞いてたんですか?」
受話器を置いたボクもぐるりと振り返る。
「つーかあんな大声で喧嘩されたら普通気になるだろ」
それはそうかも。ごめんなさい。
「いや、謝るこたねーけど。マナー違反はこっちだし」
「少尉」
「おう」
ボク。
「この体になってから、しみじみ思うんです。変わらないものは無いんだって」
「お、おお?」
突然何を言い出すか、みたいな顔をされたけど、そこはマナー違反の『お仕置き』ってことで我慢してもらおう。
「毎日日が昇るのと、日が沈むのを見てると、それは確かに単調な繰り返しのはずなのに、それでも気付かないだけでちょっとずつ変わっていく」
日は短くなり、長くなり、気温は上がり、また下がる。鎧のボクでさえそう思うのに、生身の兄さんは、どれほど時間の経過を感じていることだろう。
「兄さんも変わらない風に見えるけど、あれでもちょっとは背が伸びたりしてるんですよ」
「そりゃー、めでたいことだな」
ボクもうんうんと頷く。
「でも、持っている時間はそれぞれなんだ」
日は24時間、月は12。猫は10年、人は80くらいかな。
それなら、ボクは?
ボクもまた永遠ではないけれど、それでもきっと兄さんよりは確実に遅い。
ずれていく時間。ずれていく、思い。
それが決定的な溝を作らないと誰が言えるんだろう。
「そりゃそうだな。大将が今行ってる錬金術師なんか、軍部の一線から引いて長いっていう話だけど、実際100近いらしいぞ」
「かといって皆が、そこまで生きられるわけでもないしな。軍にいると身にしみて思う」
ファルマン准尉がそう言ったことで思い出す。
人生を断ち切られた人たち。
「だから当たり前のことに慣れちゃダメだぞ。本当は当たり前のことなんてひとつも無いんだから」
「珍しくいい事言いますな。少尉」
「珍しくは余計だっての。・・・・でもそうだろ?オレだっていいこと言うのよ。かなりいい男だと思うのに、なんで彼女がいないんだろう・・・」
そうだ。当たり前じゃない。兄さんが。
兄さんがボクの傍にいるのも、兄さんがボクを愛してくれるのも、兄さんが生きていてくれるのも。
溝はある。だけどそれを悲観しても仕方ない。
兄さんがいつも笑って、ボクを絶対戻すからと言ってくれるように。
ボクたちは、前を見て、生きてゆくんだ。
「お、電話だ。・・・・はい?え?ああ、・・・・うん」
ボクの鎧は細かなことを伝えない。
だけどボクは兄さんに伝えていく。
兄さんもボクを読み取ってくれる。
ボクたちには、溝があるということも、当たり前じゃないんだから。
「うん。じゃあ繋いで。・・・・・・・・・・おーいアルフォンス」
「は・・・はいっ!」
突然呼ばれてボクは慌てる。やだなあ、考えに没頭しちゃうとこ、兄さんに似てきちゃったかも。
「デンワ」
電話?
「アルか?明日朝一番に帰るから!もう切符取ったから迎えに来い。いいな!」
って。
「えええええ?」
って聞き返したけど、電話からはむなしい音が繰り返されるだけ。
「何だって?」
「明日帰るって・・・」
少尉に聞かれたことに、反射だけで答えるボク。
「そうなのか?良かったじゃないか」
よか・・・・良かった・・・・・。
「うん。良かった、です」
「良かった良かった」
一瞬いいのかどうか判らなかったんだけど。
「お前らがふたりでいるのにオレらも慣れてるから、片方だけだとなんか物足りなくてな」
がこ、とゲンコで乱暴に労ってくれるのを見れば、兄さんが帰ってくるんだって。
「はい!ありがとうございます!」
嬉しいのがこみ上げてきて。
「報告くるんだろ?大佐は明日休みじゃなかったっけ?」
「そうですよ。報告なら明後日以降にくるといい。大佐には言っておくよ」
少尉と准尉が代わる代わる言ってくれて、ボクはうなずく。
「はい。じゃあまた改めて」
明日になったら。
兄さんを駅まで迎えに行こう。
あの人はこっちに汽車がつく時間も言わなかったから、今から駅に寄って、到着時間を確かめてこなくちゃ。
兄さんが帰ってきたら。
『お帰り』って言うんだ。
伝わるかな。
会いたかったよ。寂しかったよ。嬉しいよって。そんなボクの合図。
多少・・・長いですか?そうでもない?(笑)
長い話はオフに、短い話はネットにという感じで(まあオフも精々短いんですが)いつも分けてるので、ネットでは初に近いくらい、流れのある話に・・・なって・・・ないか(笑)
どのお題にしようかなーと選んでいた時に、私的アルエドソング第四位の歌が思い浮かびまして(タイトルそのままやし 笑)、それのイメージで書きました。多分判らないと思うんですけど。わかった方にはリク権差し上げましょう(いらない)。恋かもしれないお題なので、どちらかというと兄弟愛を強めに書いていますが、もはやこの兄弟に兄弟愛だのなんだのという垣根はいらないと思います(笑)
04.11.10 礼