>> Nacht weich 





 

もぞりと動く気配に、エドワードはふと目を覚ました。

頭の奥がかすんだままだったが、「それ」が弟だということはすぐに判った。

(なんでこんなとこにいるんだ)

いつのまにかエドワードのベッドにもぐりこんで、自分を抱き込んでいる弟に、エドワードは首をかしげた。

もちろんアルフォンスがここで眠ることはそう珍しいことではないが、こんな風にエドワードが眠り込んでいる時間に潜り込んでくるようなことは珍しかった。

幼い頃から変わらない、柔らかな髪の感触を額に感じながら、うつらうつらと考える。

元々一緒の部屋にしてもエドワードは構わなかったのに、アルフォンスが強硬に言い張ったのだ。当主の部屋が弟と同じ部屋だなんて聞いたことも無いと。

定説なんかはどうでも良かったが、屋敷に部屋が有り余っているのも確かだったので、部屋はそれぞれ持つということで決着した。

事に及ぶに当たってどちらのベッドを使うとかいうことは、特に決めていることではない。ただエドワードのベッド・・・・・というよりはエドワードの部屋の方が、利便性が高いだけだ。

なにしろ家の者は直接の用事が無い限り、エドワードの部屋を訪ねない。エドワードはファミリーのボスなので、それほど気軽な立場ではないこともあるだろうが、アルフォンスを探した方が、事が早いということも大きいだろう。

名目の上ではエドワードがボスだが、実際取り仕切っているのはアルフォンスの方だ。彼らしい細やかさと丁寧さはエドワードに真似できるものではない。

しかもエドワードは集中すると他に気が回らなくなる。我ながらやっかいなものだが、そうなるとアルフォンスに声をかけられるのでも煩わしくなるため、エドワードの部屋のドアには、声をかけてほしくない時のための掛け札までもがあった。

まさかノックも無しに踏み込まれることもあるまいが、そんなこんなで、アルフォンスが自分を抱く時は、エドワードの部屋であることが多い。

そんな夜、アルフォンスはそのまま朝まで過ごすこともあれば、気がつけば自室に戻っていることもある。だが。

(どうしたんだ)

早朝に特有のどこか白々とした空気から、明け方に近いだろうことは判るのだが、あまりにもがっちりと抱き込まれていて、時計を見ることどころか首を傾けることも出来ない。

とりあえずまぶただけをパシパシと何度か瞬いてみたが、眠気は去らなかった。

温かかった。こんなぬくもりの中にあっては、目を覚ますという方が無理だ。弟の肩に額を擦りつけてみると、これ以上は無理だと思うのに、アルフォンスの手がさらにエドワードを抱き寄せる。

「アル」

柔らかな眠りの誘い手の中、多大な努力でもって声をかけてみると、凭れた体がびくりとした。

「・・・ごめん、起こした?」

そっと密やかな声がかけられて、なんだ起きていたのかと思った。腕の力が弛んだので、見上げると、少し困ったような瞳が笑んだ。

「どうした?」

「うん、ちょっと。・・・・・・ごめんね?」

ちょっとだなんて、そんな訳も無いくせに誤魔化す弟の言葉を待っていると、アルフォンスの指先が何度も頬を撫でる。頬を撫でて、目尻を撫でて、時には髪を漉いていく。挙句ちゅ、と音を立てて額に口付けが落とされた。

アルフォンスが不意に落とすキスを、エドワードはずいぶん好きだった。それは柔らかな愛情に満ちていて、余計なものを何も必要としない、ただ彼が自分にだけ落とすキスだった。だが、あまりにも何度も繰り返されると、それはそれでどうしていいやら判らなくなってくるものだ。しかも黙っていると、弟は際限なくそれを繰り返す。

飽きないのだろうかと呆れることもあるが、こっぱずかしい奴・・・・・・と思うこともある。今回は後者の方だった。愛しげに再びくちびるを落とそうとするアルフォンスに、もう嫌だと押し返すと、割と素直に顔が離れた。その気のアルフォンスを諦めさせることは難しいことだったから、エドワードはちょっと拍子抜けした。

「ほんとにどうしたんだよ」

眠気の抜けきらないだるい体を押して、アルフォンスの顔を覗き込むと、彼はどこか不安げな瞳を揺らした。思わず手を伸ばし、その頬を撫でてしまう。

するとアルフォンスは、その手に頬を押し付けてくる。その様にエドワードは幼馴染の愛犬を思い出した。もっと撫でてくれとでも言うようで。

それで判った気がした。彼は酷くナーバスになっていた。エドワードが安易にブランヴィリエ夫人の元へ向かって以来。

元よりエドワードを大事にしたがる彼ではあったが、それよりもっと、ずっと過剰になって、出来るなら閉じ込めておきたいのだと、言わなくても思っているのが判った。

不安なのだろう。もしかしてあまり眠れないでいるのだろうか。あの時は、アルフォンスが眠っている隙に抜け出したのだから尚更だ。子供みたいだと思わないでもないが、それだけ心配させたのだ。

エドワードはため息をついて、少しだけ伸び上がってアルフォンスとくちびるを重ねた。

「何でも無いなら大人しく寝ろ」

少し驚いた顔をしたアルフォンスを引き倒し、重いことは判っているが、胸の上に頭を乗せる。

かつて自分がアルフォンスのぬくもりや心音に安心を貰ったように、自分もそう出来ればよかった。もう二度と抜け出さないとは言えないから、せめてそうせずにいられない程自分が彼を想っていることは伝えたかった。

「ごめん、兄さん」

「寝ろって言ったろ」

アルフォンスの柔らかな金髪を漉いてやると、後悔の滲み出た声が返って、エドワードはもうひとつため息をついた。アルフォンスはエドワードが自分のことを想っていることなど、ちゃんと判っている。判っていても不安なのだ。エドワードが何を言っても、アルフォンスを恐れの淵から拾い上げてやれないだろう。

兄貴なのになと、思うとため息にしかならなかった。ただその体を抱きしめてやることしか出来ない。

「ごめんね兄さん」

重ならない視線の先で、アルフォンスが何を考えているのか、エドワードは思いを馳せる。彼の恐れも後悔も、的外れだと言ってしまうのは簡単だったが、その小さなズレの方が、エドワードには怖かった。

謝りたいのなら、謝らせておく方がいいのだろうかと考えながら、ただ髪を撫でていると、じっとしていたアルフォンスが思いだしたように、エドワードの脇腹を指先で辿った。

「・・・・・・」

くすぐったくて身を捩っても、何度も繰り返し撫でてくる。その指先に慣れた体が、すぐに温度を上げるのを見越したように。

「アルフォンス」

裾を捲くろうとしたところで見かねて、撫でていた手を上げてごいんと殴った。だが悪戯な指はそれに負けずに、直に肌に触れてくる。

「止めろって!」

「・・・っ。痛い、兄さん、それはちょっと無理!」

それで思いっきり髪を引っ張ってやったら簡単に根を上げた。

「テメェ思いっきり急所さらしといて、いい度胸じゃねえか」

「・・・ごめん」

急所をさらしているのは自分も同じなのだが、心配していた分、怒りになった。アルフォンスを体の上から振り落とすと、背を向ける。そうすると慌てたような声がかかった。

「ごめんってば」

「ひっつくな暑苦しい」

「ごめん無理」

払っても無理やりにひっくり返されて、きつく抱きしめられた体は、結局先ほどと然程変わらない形に収まった。

押しても引いても、アルフォンスはびくともしない。文句を言ってやろうかと思ったが、あたたかな体とアルフォンスの匂いは、容易にエドワードを眠りに誘ってしまう。

元から妙な時間に起こされたのだ。その上、エドワードはとにかく弟に弱かった。元は自分が引き起こしたことだという自覚もある。

「・・・お前、さっきからゴメンしか言ってないって判ってるか?」

「痛いって言ったよ」

強情に返されて、エドワードは諦めた。こんな時間に話し合ってもろくなことにならなそうだ。勢いで抱かれるのはごめんだが、抱き枕が必要なら、それになることぐらいは何でもない。

「もういいよ、寝ろ」

再度の言葉に、アルフォンスの腕の力が強くなった。力任せに抱きしめてくる腕は、まるで少しの隙間さえ恐れるようで、何だか泣き出してしまいそうだと思う。

どう考えても変で一貫性もあったもんじゃない。もしかして実は寝ぼけているんじゃないだろうかと思いもするが。

もしかして弟は、自分でも自分の気持ちをコントロールできずにいるんじゃないだろうか。ごめんごめんと繰り返す。そのどれもが違う【ごめん】の気がして、なあ、アル。と呼びかけた。

「抱きたいなら抱けよ。でもな、中途半端は嫌だ」

「・・・・・・」

「このままの方がいいなら幾らでも一緒に寝てやる。・・・・・・どうして欲しい」

もごもごと喋り難いながらもアルフォンスの胸に囁けば、にいさん、と小さな声が返ってきた。

「ん?」

出来るだけやさしげな声で応えると、何故か好きだよと返ってきた。

「知ってる」

そんなこと、呆れるぐらい知っていた。だからかえって悲しくなった。

「なあ、」

エドワードもきつく弟を抱きしめる。この弟がいるから、エドワードは走り出せるのに。どうしてそれを判ってくれない。

「お前はついてくるだろ?」

「・・・・・・うん」

「オレが何処に行っても、ちゃんとついて来い。何があってもオレの後ろを守れ。お前なら出来るな?」

「うん・・・」

「もし自信がないなら、構わないから浚って行け」

兄さん、と驚いた声。エドワードには譲れない目的がある筈だった。そのためにマフィア家業を継いだのだ。

「お前がそうしたいなら構わないよ」

だが、それぐらい彼が大事なことも、自分で知っていた。それこそ呆れるほどに、彼だけが大事だった。

貴方って人は、とアルフォンスが呟く。

「ごめんね、兄さん」

今日何度目かの【ごめん】だった。だが今までで一番柔らかな言い方にエドワードは微笑んだ。

「いいから。もう寝ろって」

自分も何度目かの台詞を言って、エドワードはもう、目を閉じた。柔らかな夜がもう少し続いてくれることをただ願って。









07年夏のペーパーを再録するのを忘れていました(え)再録にあたりちょっと改稿しています。Rosenrotの続き?後話?ですね。
マフィア兄弟は基本的にオトコマエを目指しているのですが、まあこんな夜もあるってことで。

08.10.1 礼