>> 嵐が丘 






 それを指して嵐の前の静けさというのだろうか。


空は快晴だった。

雲ひとつ無いとまでは言わないが、迫り来る夏を予感させるこんもりとした白が、鮮やかな青とのコントラストを描く。アルフォンスは手のひらを差し出して、燦々と照る太陽の光を遮ってみた。

熱さは判らないが、眩しさはよく伝わる。アルの視線の先で、黒々と燃え滾る星は、やけに不安を掻き立てる。

アルには太陽を直視することが出来た。鎧の体ならではというべきか、触覚は無いものの、人体では見ることの出来ないものが見られることがあった。視認出来る太陽は大気を通してのものだから、時間によって場所によって様々な色を見せるのは何故か同じ。

だが黒いというのは。

「アールー!」

それを呼び止めた兄の声のように、手にしたコートが翻った。慌てて駆け寄ると、見上げた目の色がぎらりとひかる。

「何してんだよ。あちぃんだから早く行くぞ」

この時期気温も天気も安定しない。機械鎧を身に着けているエドワードは特にその影響を受けやすいものだから、未だにコートを羽織っているし、黒いジャケットは屋外では夏場でも手放せない。

「うん、ごめん」

「何か見えたか?」

「・・・うーん、別に何にも無いんだけど。ちょっと嵐の前の静けさみたいだなって」

「うええ。雨でも来るってか?」

「判らないけど。なんとなく」

「もし雨だったら次の街までだいぶあるぞー?」

アルが言ったことはただの勘に過ぎない。だがエドはそれを信じる。本当に何の脈絡もなく考えたことなのに。

「でも、違うかもしれないし」

首を傾げてみたが、エドは急ぐぞと走る体勢を見せた。

「違うに越したこと無いさ」

「そうだね」

アルは兄のこういう前向きさは好きだった。やれることをやっておく。ダメでも後悔はしない。アルは先をゆく兄について走りながら、もう一度太陽を見上げた。



小走りで道程を抜け、宿に体を落ち着けた時には、エドは喋る気力もなくなっているようだった。

「ごめんねえ」

「謝るな弟よ」

アルが窓から見上げた空は夕暮れに赤く染まっている。雨の気配も何事も無い。

「いーいトレーニングになった。最近運動不足だったからなハハハ精神を鍛えるにはまず」

「もう喋らなくていいよゴメンネ謝って・・・」

『前向き』な言葉もこうも呪文のように並べられると、もはや哀れだ。

「ゆっくりしてなよ。今お風呂入れるね。あと飲み物も・・・」

貰ってくるから、と言いかけたアルの指を、力の無い手のひらが掴む。アルに触覚は無かったが、それぐらいは判る。

「いい」

「いいって・・・」

「いいからそこ座れ」

乾いた喉がかすれた声を送るのを聞いて、アルは迷ったが、掴まれた手を離すことも出来なくてその場に座った。

ギシリとベッドが悲鳴を上げる。兄は気にせずに自分の額にアルの手を押し付けた。その様を見ると、何となく胸が高鳴るような感じがした。アルには心臓が無いのに。

そう思いながらも、自分でも判っていた。アルに心臓が、生身の体があれば、その程度ではすまないだろうことを。それを見ない振りをしているだけだ。

それは嵐の前の静けさに似ている。アルはまだたった14で、兄はまだたったの15。もしもアルが生身の体のまま、兄に相対していれば。

それは全く意味の無い仮定ではあった。人に相談すれば、ずっとふたりで旅をしているからとか、兄に依存しなければならない状態なのだからとか、そういう慰めをもらえるのかもしれなかったが。

アルには予感があった。

きっと恐らく同じだろう。例え生身の体であっても、アルには兄の存在が全てなことに変りは無い。そうしてあの黒い太陽のように。


 ―――兄の全てを焼き尽くす。


「・・・やっぱり水だけもらってくるよ。酷い声じゃない。お水だけ。あとはずっとここにいるから」

守るつもりのない約束を告げて、アルは自分の手を兄の手の中から取り戻した。それを視線で追ったエドの目がまたぎらりとひかった。

「・・・ああ」

だが頷くと、アルに背を向けて丸くなる。アルもまたその姿に背を向けながら、嵐の予感を感じていた。


それが予感であることが恐ろしい。もはや事態は嵐の前なのだと。

その予感が先ほどの勘と同じように、間違いであればいい。違うに越したことが無い。アルが気持ちを向ければ兄は。

階段を降りて宿の人間に声をかけようとすると、何故かその場は騒然としていた。

「あの」

「聞いたかい!ここから少し離れた街道で竜巻が通ったそうだよ。何も無いところで良かったが、旅人が巻き込まれなかったかねえ。あんたらも街道沿いに来たんだろ?運が良かったね」

女将がまくし立てるのに、まさかとアルは思わず振り返る。

差し込む夕陽は酷く赤く、アルの青みを帯びた鉄の体を、血の様な色に染めていた。





07年6月10日トリアル用のペーパーに書いた小話です。タイトルは後付け。ありがちですみません。
こういう何かが始まろうとする瞬間みたいな話を書くのは割と好きなんですが、兄弟だとシリアスさを保つのが難しい(私の場合 笑)

08/1/21 礼